住職の法話

真言宗密教とは?(理趣経のお話)

今回は「密教」とは何なのかをお話いたしたいと思います。

私たち高野山真言宗では、毎朝のお勤めの中でで理趣経と云うお経を読みます。真言宗のお寺では日常的に般若心経と共に良く唱えられているお経です。真言宗の根本経典は「大日経」と「金剛頂経」であります。理趣経はその中の金剛頂経系のお経です。理趣経は実に密教的なのです。

理趣経以前の経典では否定していた人間の欲望や、煩悩迄も清浄なるもの・清らかな菩薩の境地であると書かれています。今までの罪悪行も理趣経を毎日読むことによって浄化されると書かれているのです。つまりこの世の中は総てが清浄であり、総ては肯定される存在であるのです。そのために私たちは毎日毎朝、理趣経を読むのです。非常に功徳の大きいお経なのです。

しかしながら理趣経の本質を捉えずに、表面のみを捕らえると、大変な誤解を生じる恐れのあるお経なのです。
欲望のままに行動し、犯罪等を犯しても理趣経を読むことだけによってすぐさま浄化されるのかとか、それは人間の欲望を全て認めそれらを菩薩の位で有ると書かれているからです。理趣経では欲を捨てなさいとは言ってはいません。逆に欲を持てと説かれているのですが、これは大変大きな欲を持てと言う意味です。小さな事にこだわるなと言うことです。自分だけの欲でなく世界全体・宇宙全体の欲を完成させるのです。これを理趣経では「大欲」と言っております。
 
理趣経では欲を個人的な欲望から世界・宇宙全体の欲望へと浄化させます。密教では一般仏教の否定から肯定へと流れているのです。全ての人々、全ての欲を肯定した上で、肯定を個人的な肯定とは見ずに、世界・宇宙全体の肯定へと変化させていくこれが密教のダイナミックな所、非常に重要な考え方なのです。

私たち人間は、この世界・宇宙の総てのことを肯定し・認識することにより、より良い生活に結び付けていけるのです。