住職の法話

不殺生

今回は殺生の問題を取り上げようと思う。仏教は在家の五戒の第一に不殺生を掲げる。しかし、実は、なぜ殺生をしてはいけないのかを詳細には説明していない。

ジャイナ教ではこういう。「いっさいの生き物にとって自己の生命は愛しいものである」、「生きとし生けるものはみな安楽を欲してる」、私も安楽を欲している。だから彼等は同胞である。同胞を害してはいけない。だから彼等を害してはいけない。これが不殺生の根拠の一つである。

ジャイナ教の考えでは霊魂があるのは人間だけではない。人間にも獣にも虫にも細菌にも霊魂がある。それだけではない。地、水、火、風、植物も霊魂をもっている。だから植物も命を奪ってはならない。大根やタマネギやニンニクはそれを食するにはその生命を奪わなければならない。だから、大根やタマネギやニンニクは食べてはいけない。禅寺でニンニクを避けるのは実はここに遠因がある。一方、生命を奪わないで食べられる果物や豆類はかまわない。

獣や大根を殺せば、獣や大根の恨みが私の霊魂にぶつかってくる。それはいずれ私の霊魂のなかに入り込む。私の霊魂は重くなる。霊魂はそもそも上昇するものであり天国へ上っていくものであるが、この殺された生き物の恨みによって次第に地獄へ落ちていく。だから生き物を殺してはいけないのだ。これが不殺生のもう一つの根拠である。

ジャイナ教は不殺生の根拠をこのように明確に解き明かす。だからこそ、ジャイナ教の信者たちは本気で殺生を避けるのである。水を飲むときは虫を飲まないようにろ過して飲む。間違って虫を殺すかもしれないから食べ物も煮炊きをしてはいけない。ジャイナ教では木は、木や虫や鳥が生きる小宇宙と考える。だからそれを破壊するきこりの仕事は絶対してはいけないとする。木を殺してしまう。虫を殺してしまう。鳥の巣を壊してします。安楽を欲する「同胞」たちのたくさんの恨みが生じる。それは私と地獄へ落とす働きをする。

仏教やキリスト教やイスラム教の不殺生の必要に関する解明はこれほどは明快ではない。だから敬虔なキリスト教徒であるブッシュはアラブ人を平気で殺させる。また、イスラム教をまもるためにイラク人は自爆テロによって他人を殺傷する。

この点がジャイナ教によって教えられた第一の問題である。要するに私はなぜ殺生をしてはならないか、という問題を考えさせられたのである。

私が近頃の世相をみて思うことは、「人間は何でもする」ということだった。しかし、それは人間の本質的な性質ではなく、ある条件のもとにある人間の行為なのだとおもう。人が溺れるのは水の中にいるからであって、溺れる本質をもっているのからではないように。そう思えるならばそれは一つの救いなのであろう。