住職の法話

曼荼羅|密教の考え方

「密蔵は幽玄にして翰墨に載せ難し。更に図画を仮りて悟らざるに開示す」という空海の言葉があります。これと同様の表現が『大日経』にも見え、曼荼羅の起源がインド以来の表現であるといえる。

仏教の真理が、妙諦が滅諦や空などのように否定的にのみ表現されている段階では、それを図表化して表現することは不可能であった。

しかし、ひとたびその理念が積極的に、「妙有」として表象されるようになれば、この「妙有」なるものは、さまざまな現象のうちにその本質(自性)を潜めていることが認められるようになる。

インドの古い密教家は、この段階の考え方を「自性マンダラ」と名づけている。
宇宙の本質(自性)を真実(法)と見て、宇宙自体をその本質の表現と見る考え方は決して新しくない。仏教の悟りの境地とは、結局、改めて万物を肯定できるこの境地であろう。

「尽天地は一軸の経巻」といい、日本では「草木国土悉皆成仏」から進んで「草木不成仏」(草木はすでに仏であるから改めて成仏する必要はない)という思想にまでいたった。

このように宇宙の本質、あるいは菩提心の本性をそのままに、仏のマンダど見る考え、言うなれば、事物そのもののあるがままを仏と見る見方、「あるがままのマンダラ」「自性マンダラ」の考え方は、すでに五・六世紀のころには充分形を整えていた。

私たち衆生は「あるがままの仏」であるのであるから、早く其れに気付き、自覚して行動することが悟りなのである。